●日本海側最大規模、ツツジの名所、西山公園 ●同公園と「まぼろしの鯖江城」 |
満開のツツジに多くの人出
日本海側最大規模ともいわれるツツジの名所として知られる福井県鯖江市の西山公園には、敷地56ヘクタールに4万株以上のツツジが植えられ、例年、見頃を迎える頃になると、県内外から多くの見物人が訪れます。私も5月初めの連休に家内とその西山公園へ。今年は、見頃を過ぎていた昨年とは違って、当たり一面に咲き誇る満開の綺麗なツツジを見ることができました。また併設されている西山動物園に行くと、立ち姿がみれるというレッサーパンダのところが賑っていました。私が行ったときは立ち姿は見れなかったのですが、子供も大人も愛くるしい表情を歓声を上げながら携帯のカメラにおさめていました。私もレッサーパンダの可愛い表情を携帯のカメラにおさめてまもなく、ツツジの写真とともに楽天日記へ携帯から送稿。
「まぼろしの鯖江城」の伝説
ところで、鯖江市は1721年(享保6)に鯖江藩(5万石)が成立して以来、明治の廃藩まで9代にわたり間部氏の城下町として発展してきた町です。城下町といっても天守に象徴される城郭のない城下町だったのですが、この西山公園一帯に城郭建設計画があったようです。1840年(天保11)には、幕府から鯖江城築城を許可され、幕府から5000両もの大金を拝領してその準備が進められていたと伝えられています。「御城普請」に使う木材、城建設地の調査などを行い、縄張絵図もできていたという。それによると、西山公園のある標高110メートル余の長泉寺山山頂を中心に、本丸、二ノ丸を築き、長泉寺山の麓を東、南、西の三方から取り巻くように堀や石垣などを造る計画だったらしい。城地の広さは12万坪だったともいわれる。しかし、十分な城地を確保できなかったことや、水の便が悪いこと、その頃は大飢饉が続き農民は困窮のどん底にあったことなどから、鯖江城は築かれることなく実現しなかった「まぼろしの鯖江城」といわれています。
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